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28年の沈黙を破る歌。48歳、リトリートで中学生ぶりに「自分」を鳴らした日

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「もし、僕の喉が、あの薄暗い習慣の出口に過ぎなかったとしたら、本当の僕の声はどこに消えてしまったのだろうか。」

48歳、175cm、76.4kg。

人生の折り返し地点に立ち、鏡に映る自分を見つめたとき、そこにいたのは「自分を磨くこと」を諦め、灰色のカーテンの向こう側に逃げ込み続けてきた男でした。

しかし、2026年2月。僕はその重いカーテンを自らの手で引きちぎりました。

松田リエさんのメソッドに出会い、お米を食べて代謝を回す「食べ痩せ」を実践。

自炊を覚え、ラジオ体操で錆びついた体を手入れし、75.5kg(笑)という数字を手に入れた先に待っていたのは、予想だにしない「表現」という名のギフトでした。

先日、僕はリトリートに参加し、人前で歌を歌いました。

それは単なるレクリエーションではありません。
彼女と共に言葉を紡ぎ、メロディを探し当てた、世界に一つだけの「再生の歌」です。

人前で声を出す、それも自分の心から溢れ出た言葉を音に乗せるのは、実に中学生ぶり。

30年以上の空白を超えて、僕の喉が震えた瞬間の、震えるような記録をここに遺します。

本番の様子はこちらから

なぜ、僕は30年以上もの間、人前で歌うことを自分に禁じてきたのか。

振り返れば、大人になるにつれ、
僕は
「失敗すること」
「笑われること」
「本当の自分をさらけ出すこと」

を極端に恐れるようになっていました。
28年間にわたる「古い習慣」は、そんな臆病な自分を守るための、いわば「物理的なシールド」だったのです。

イライラすれば紫煙の中に逃げ込み、緊張すればあの独特の香りで感覚を麻痺させる。

間が持たなくなれば、指先に灯る火を見つめて自分を煙に巻く。

自分の生の感情を外に出す代わりに、僕は28年間、内側に澱(おり)を溜め込み続けてきました。中学生の頃、純粋に音楽を楽しみ、腹の底から声を張り上げていたあの頃の自分は、いつの間にか厚いタールの壁の向こう側に閉じ込められ、呼吸することさえ忘れていたのです。

この28年間の「沈黙」は、単に歌わなかったというだけではありません。

「自分の本音を鳴らさなかった」という、精神的な冬の時代でした。

これまで僕がこのブログで綴ってきた「自分磨き」は、どちらかといえば孤独な戦いでした。

一人で体重計の数値に一喜一憂し、一人で包丁の重さに慣れ、一人で早朝の公園でラジオ体操をする。それはそれで尊い自己研鑽ですが、今回の「歌作り」は、僕の人生に決定的な変化をもたらしました。

それは、「パートナーとの共創」です。

彼女と一緒に歌詞を考え、一文字ずつ言葉を置く作業。

以前の僕なら、行き詰まればすぐに「例の休憩」に逃げていたでしょう。

しかし、今の僕の手には、逃げ場所はありません。

その代わりにあったのは、彼女との温かい対話と、本気で向き合う時間でした。

「僕の声には、価値がある。僕の言葉には、力がある。」

彼女がそう信じてくれているという事実が、28年間にわたって積み重なった「自己否定の澱」を、少しずつ、でも確実に溶かしていきました。

依存という「偽りの安らぎ」に頼らず、人との深い繋がりの中でドーパミンを出す。
これこそが、48歳の僕がたどり着いた、最高級の自分磨きだったのです。

日常のノイズを脱ぎ捨て、たどり着いたリトリートの会場。

マイクを握った僕の右手は、情けないほどに震えていました。
かつてその指先は、自分を落ち着かせるための「細い棒状の依存」を挟む道具でした。

しかし、今の僕の指にあるのは、重いマイクの感触と、隣に立つ彼女の体温だけです。

「本当に歌えるのか?」 中学生ぶりのステージ。

30年という歳月が、巨大な壁となって僕の前に立ちはだかりました。

しかし、イントロが流れた瞬間、僕の身体がある「変化」を教えてくれたのです。

1. 「食べ痩せ」で手に入れた深い呼吸

驚いたのは、声を出し始めた瞬間でした。
毎朝のラジオ体操で肺を大きく広げる習慣。
これらは単なるダイエットではなく、「僕という楽器」を調律する作業だったのです。

肺の奥まで、一切の淀みなく空気が流れ込んでくる。
28年間、肺を濁らせる習慣に浸っていた頃には、決して味わえなかった感覚です。
横隔膜がしっかりと動き、重心が低くなった身体から、自分でも驚くほど芯のある声が飛び出していきました。

2. 弱さをさらけ出す勇気

歌いながら、僕は自分の「弱さ」をさらけ出していることに気づきました。

高い声が出ない、リズムが少しずれる。
かつての僕なら、そんな失敗を恐れて、灰色のカーテンの裏側に隠れて一生を終えていたでしょう。

しかし、依存を捨てた今の僕は違いました。
不格好でもいい。それが「今の48歳の僕」のリアルだからです。
彼女と一緒に作った歌詞が、会場の空気に溶けていく。
「自分を磨く」とは、完璧な人間になることではありません。
自分を隠すための鎧」を脱ぎ捨て、不完全な自分をそのまま鳴らすこと。

それこそが、48歳からの人生再生における真のゴールなのだと確信しました。

歌い終わった後の拍手。

リトリートから戻った翌朝も、
僕は白湯を飲み、ラジオ体操をしました。

体重計は相変わらず「75.5kg(笑)」を指しています。
でも、昨日までとは何かが決定的に違います。
僕の喉には、もうあの重苦しい澱はありません。
いつでも、自分を鳴らす準備ができています。

もしあなたが、何かを諦め、自分を隠して生きているのなら。

まずはその「重い鎧」を一つ、降ろしてみませんか?

食事を整え、呼吸を整えた先に、あなたにしか歌えない歌が必ず待っています。

歌を歌うと決めてから、最大の難関は「何を歌うか」ではなく「何を言葉にするか」でした。

中学生以来、自分の内側にある感情を言葉にして誰かに伝えるという作業を、僕は極端に避けてきました。なぜなら、言葉にすれば、自分が抱えている「28年分の空白」と向き合わざるを得なくなるからです。

ノートを広げ、彼女と向かい合う。
「今、一番伝えたいことは何?」
彼女の問いかけに、僕は言葉を詰まらせました。
以前の僕なら、ここでポケットをまさぐり、「考えるための時間」という言い訳を火とともに吸い込んで、その場を濁していたでしょう。でも、今の僕には逃げ場となる煙はありません。

「……怖かったんだと思う。自分を出すのが。」

絞り出した言葉を、彼女は優しく拾い上げ、メロディの隙間に配置してくれました。

依存を断ち、食事を整え、肉体を磨く。

それは自分一人で完結する「守り」の作業です。
しかし、歌を作ることは、自分を他者に開く「攻め」の作業。
28年間、灰色のフィルター越しにしか世界を見てこなかった僕にとって、それは皮膚を一枚剥がされるような痛みと、それ以上の解放感を伴うものでした。

歌詞が完成したとき、ノートには涙で滲んだような不格好な文字が並んでいました。
でも、それは20万本のあの細い棒よりも、ずっと重く、確かな僕の「生」の証でした。


リトリート当日。会場は、山々に抱かれた静かな木造のホールでした。
窓からは、雨上がりの土の匂いと、新緑の香りが混じり合った風が吹き込んでいました。

驚いたのは、自分の「感覚」が驚くほど鋭敏になっていたことです。

かつては、あの強い香りが鼻腔にこびりつき、季節の匂いも、繊細な花の香りも、すべてが「灰色のモヤ」にかき消されていました。

しかし、今の僕は違います。
今の僕にとって、その一口は単なるエネルギー補給ではなく、「僕という楽器」に命を吹き込む儀式のようでした。

「身体が喜んでいる。」 そう確信したとき、ステージに上がる恐怖は、心地よい高揚感へと変わっていました。75.5kg(笑)。身体が軽くなっただけでなく、心にかかっていた「重し」が、この清浄な空気の中でスッと消えていくのを感じたのです。


ついに、伴奏が始まりました。
彼女と隣り合い、マイクを握る。
最初の一音を出すとき、僕は28年間のすべてをその呼吸に込めました。

「吸い込む」という行為が、これほどまでに清々しいものだと知ったのはいつ以来でしょうか。

かつては「不自然な落ち着き」を得るために吸い込んでいた呼吸。

今は、「自分を表現するため」に、この世界の美しい空気を肺いっぱいに取り込んでいます。

歌い出した僕の声は、自分で言うのも変ですが、驚くほどまっすぐでした。

プロのような技術はありません。

でも、そこには嘘がありませんでした。 28年間の沈黙、76.4kgから始まった孤独な努力、75.5kg(笑)という小さな勝利、そして、不器用な僕を支え続けてくれた彼女への感謝。

一節、一節を歌うたびに、身体の中に溜まっていた「灰色の記憶」が、光に溶けていくような感覚。 最後の一音を歌い切り、会場が静寂に包まれたあと、地鳴りのような拍手が沸き起こりました。

それは僕にとって、48歳にして初めてあげた「本当の産声」でした。


リトリートを終え、日常に戻った今でも、僕はときどき自分の声を確かめるように独り言を言います。

喉の奥は、かつてのようなイガイガした不快感はありません。

僕たちは、自分を磨くために多くのことを「捨て」てきました。
でも、捨てたのは「自分」ではありません。自分を覆い隠していた「不要なもの」を捨てただけなのです。

28年の空白は、これから奏でる物語の「序奏」に過ぎません。

次はどんな歌を、どんな料理を、どんな自分を鳴らしていこうか。

48歳。 人生で一番若い今日、僕はまた新しい一歩を踏み出します。

あなたの喉にも、まだ鳴らされていない「本当の声」が眠っているはずです。